世界的なプロ野球選手イチローについて
『イチロー』、本名は、鈴木 一朗(すずき いちろう)。
1973年10月22日に愛知県西春日井郡豊山町で生誕された元プロ野球選手です。
ポジションは外野手でした。
血液型はB型。
日米で通算28シーズンをプレーし、数々の記録を打ち立て、2025年には、米国野球殿堂入りが確実視されています。
今なお多くのファンが存在し、イチロー人気は衰えることを知りません。
彼が発した言葉は、名言の数々として人々を勇気づけるとともに、彼がなぜ、ここまでの人物になれたのか、その理由もよくわかります。
このページでは、世界的なプロ野球選手であるイチロー選手の名言を詳しくご紹介します。
イチローの経歴
氏 名:イチロー(鈴木一朗)
生年月日:1973年10月22日
出身地:愛知県西春日井郡豊山町
1991年:オリックスに入団。
1994年:新しく就任した仰木監督はイチローを即座に一軍に呼び、その後は1番打者として活躍。
2001年:野手としては日本人初のメジャーリーガーとしてシアトル・マリナーズへ移籍。
2012年7月:ニューヨーク・ヤンキースへ移籍。
2015年:マイアミ・マーリンズに移籍。
2016年8月7日:メジャーリーグ史上30人目の通算3,000本安打を達成。
2018年:マリナーズに復帰。
2019年3月21日:開幕シリーズとなる東京ドームで行われたアスレチックス戦2試合に出場後、現役を引退した。
イチローの記録
ギネス登録されている記録
米国メジャーリーグ(MLB)シーズン最多安打記録(262安打)
通算安打世界記録(日本プロ野球/メジャーリーグ通算4257安打)
ルーキー最多安打記録(242安打)
連続200本安打記録(10年連続)
1シーズン連続盗塁記録(45)
オールスター野球史上初ランニングホームラン
その他の記録
【日本プロ野球(NPB)】
最多タイ記録となる首位打者を7回獲得
パ・リーグ最多記録となる最多安打を5回獲得
【米国メジャーリーグ(MLB)】
アジア人史上初の首位打者と盗塁王のタイトルを獲得。
アジア人史上初のシーズンMVP
シルバースラッガー賞
ゴールドグラブ賞(10シーズン連続)
アジア人史上3人目(日本人史上3人目、アジア人打者史上初)の新人王
イチローの名言
努力に関係する名言
努力せずに何かできるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。
努力した結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。
人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。
そりゃ、僕だって勉強や野球の練習は嫌いですよ。
誰だってそうじゃないですか。
つらいし、大抵はつまらないことの繰り返し。
でも、僕は子供のころから、目標を持って努力するのが好きなんです。
だってその努力が結果として出るのはうれしいじゃないですか。
小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。
妥協は沢山してきた。
自分に負けたこともいっぱいあります。
ただ、野球に関してはそれがない。
僕はいつも一生懸命プレーしていますが、今日はよい結果が出なかった。でも、だからといって後悔もしていないし、恥ずかしいとも思っていません。なぜなら、できる限りの努力をしたからです。
成績は出ているから今の自分でいいんだ、という評価を自分でしてしまっていたら、今の自分はない。
壁というのは、できる人にしかやってこない。
超えられる可能性がある人にしかやってこない。
だから、壁がある時はチャンスだと思っている。
少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事。
キャンプでいろいろと試すことは、ムダではありません。
ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません。
調子が悪い時こそ、全力でプレーすることが大事。
夢を掴むことというのは一気には出来ません。
小さなことを積み重ねることでいつの日か信じられないような力を出せるようになっていきます。
僕は天才ではありません。 なぜかというと自分が、 どうしてヒットを打てるかを 説明できるからです。
アップの時には全力で走るとか、早く来て個人で練習しているとか、そんなことは僕にとって当たり前のこと。
主体性に関係する名言
決して、人が求める理想を求めません。人が笑ってほしいときに笑いません。自分が笑いたいから笑います。
人に勝つという価値観では野球をやっていない。
自分のしたことに人が評価を下す、それは自由ですけれども、それによって、自分が惑わされたくないのです。
他人の記録を塗り替えるのは7割、8割の力でも可能だが、自分の記録を塗り替えるには10以上の力が必要だ。
第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい。
やってみて「ダメだ」とわかったことと、はじめから「ダメだ」と言われたことは、違います。
首位打者のタイトルは気にしない。
順位なんて相手次第で左右されるものだから。
自分にとって大切なのは自分。
だから1本1本重ねていくヒットの本数を、自分は大切にしている。
自分の思ったことをやりつづける事に後悔はありません。
それでもし失敗しても後悔は絶対に無いはずですから。
自分自身が何をしたいのかを、忘れてはいけません。
結果を出せないと、この世界では生きていけません。
プロセスは、野球選手としてではなく、人間をつくるために必要です。
自分のできることをとことんやってきたという意識があるかないか。それを実践してきた自分がいること、継続できたこと、そこに誇りを持つべき。
自分を客観的に見て、やるべきことをやります。それは、どんなときにも変わらないものなのです。
チームに乗せてもらうことはありますが、そういう時は少ないのです。チームの流れとは別のところで、自分をコントロールしてきたつもりです。
チームの調子が悪くても自分が崩れることはありません。
自分を殺して相手に合わせることは、僕の性に合わない。まして上から色々言われて、納得せずにやるなんてナンセンスだと思います。
人のアドバイスを聞いているようではどんどん悪いほうにいきます。周りは前のフォームがどうだったとか言いますが実はそんなことはたいしたことではないのです。精神的なものが大きいと思います。どうやって気分を替えるかとかそういうことが大事です。
相手が変えようとしてくるときに、自分も変わろうとすること、これが一番怖いと思います。
他人が言う成功を追いかけ始めたら何が成功か分からなくなってしまいます。
いろんな世界の
トップの人たちに会いましたけど、みんな口を揃えて言いましたよ
「自分のためにやっている」って。
自分にとって満足できるのは
少なくとも誰かに勝ったときではない。
自分が定めたものを達成したときです。
個人的に「成功」という言葉が好きではありません。
それはあまりにも感覚的であり、相対的です。
そしてそれは自分自身ではなくたいてい他人が作った定義です。
目標や夢に関係する名言
今自分がやっていることが好きであるかどうか。
それさえあれば自分を磨こうとするし、常に前に進もうとする自分がいるはず。
まず自分の好きなことを見つける。そうすれば、自分を磨けるし、先へ進める。
(打率ではなく)ヒットを一本増やしたいとポジティブに考えるのです。そう思っていれば打席に立つのが楽しみになりますよね。
ここまで来て思うのは、まず手の届く目標を立て、ひとつひとつクリアしていけば最初は手が届かないと思っていた目標にもやがて手が届くようになる ということですね。
高い目標を成し遂げたいと思うなら、常に近い目標を持ち、できればその次の目標も持っておくことです。それを省いて遠くに行こうとすれば、挫折感を味わうことになるでしょう。近くの目標を定めてこそギャップは少ないし、仮に届かなければ別のやり方でやろうと考えられる。高い所にいくには下から積み上げていかなければなりません。
今、自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと遠くの目標は近づいてこない。
夢をつかむことというのは一気にはできません。
ちいさなことを積み重ねることでいつの日か、信じられないような力を出せるようになっていきます。
僕は僕の能力を知っていますから、いくらでも先はあるんですよ。人の数字を目標にしているときというのは自分の限界より遙か手前を目指している可能性がありますけど、自分の数字を目指すというのは、常に限界への挑戦ですから。
しっかりと準備もしていないのに、目標を語る資格はない。
なりふりかまわないで自分の行きたい道を進むこと。
自分がわからないことに遭遇するときや、知らないことに出会った時に、『おっ、自分はまだまだいける』と思います。
何かを達成した後は気持ちが抜けてしまうことが多いので、打った塁上では『次の打席が大事だ』と思っていました。
世の中の常識を少しでも変えるっていうことは、人間としての生き甲斐でもありますから。
精神力についての名言
メンタルな部分が及ぼす肉体への影響は、とてつもなく大きい。
気持ちが落ちてしまうと、 それを肉体でカバーできませんが、 その逆はいくらでもあります。
何かをしようとした時、失敗を恐れないでやってください。失敗して負けてしまったら、その理由を考えて反省してください。必ず将来の役に立つと思います。
「グラウンドの上では自分の築きあげてきた技術に対する自信。今までやってきたことに対する自信。『やりたい』と思う強い気持ちが支えになります」
何事も前向きに行動することが可能性を生むんです。
楽しんでやれとよく言われますがぼくにはその意味がわかりません。
楽しむというのは決して笑顔で野球をやることではなくて充実感を持ってやることだと解釈してやってきました。
ここに辿りつくまでのことを「楽しんでやる」というような表現はとてもできません。
打てない時期にこそ、勇気を持ってなるべくバットから離れるべきです。
勇気を持ってバットから離れないと、もっと怖くなるときがあります。
そういう時期にどうやって気分転換をするかは、すごく大事なことです。
やっぱり日々、懸命に生きたい。それを重ねていく。懸命に生きられる何かをモチベーションを見つけていくっていうのが生きて行く意味だと思うので、それを重ねていきたいなと思いますね。
日常の大切さについての名言
バットの木は
自然が何十年もかけて育てています。
僕のバットはこの自然の木から手作りで作られています。グローブも手作りの製品です。
一度バットを投げた時、非常に嫌な気持ちになりました。
自然を大切にし、作ってくれた人の気持ちを考えて僕はバットを投げることも叩きつけることもしません。プロとして道具を大事に扱うのは当然のことです。
汚いグラブでプレイしていたら、その練習は記憶には残りません。
手入れをしたグラブで練習をしたことは、体に必ず残ります。
記憶が体に残ってゆきます。
朝に軽い散歩をして
安らぎを得る人々もいるでしょう?
私はそれがバットを振ることだっただけです。
特別なことをするために特別なことをするのではない、特別なことをするために普段どおりの当たり前のことをする。
何かを長期間、成し遂げるためには考えや行動を一貫させる必要がある。
同じ練習をしていても、何を感じながらやっているかで、ぜんぜん結果は違ってくるわけです。
ハイレベルのスピードでプレイするために、僕は絶えず体と心の準備はしています。自分にとって最も大切なことは、試合前に完璧な準備をすることです。
びっくりするような好プレイが、勝ちに結びつくことは少ないです。確実にこなさないといけないプレイを確実にこなせるチームは強いと思います。
苦しみを背負いながら、毎日小さなことを積み重ねて、記録を達成した。
困難を乗り越えるための名言
自分が全く予想しない球が来たときにどう対応するか。
それが大事です。
試合では打ちたい球は来ない。
好きな球を待っていたのでは終わってしまいます。
プレッシャーはかかる。
どうしたってかかる。
逃げられない。
なら、いっそのことプレッシャーをかけようと。
逆風は嫌いではなく、ありがたい。
どんなことも、逆風がなければ次のステップにいけないから。
こういうときに思うのは、別にいい結果を生んできたことを誇れる自分ではない。誇れることがあるとすると、4,000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8,000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないかと思いますね。
結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。
決してあきらめない姿勢が何かを生み出すきっかけをつくる。
思うようにいかない時にどう仕事をこなすか。これが大事です。
プレッシャーに潰れるようだったら、その選手はそこまで。
しんどい思いは早くしておくことですね。早い段階で。
自分が全く予想しない球が来た時に、どう対応するか。それが大事です。試合では打ちたい球は来ない。 好きな球を待っていたのでは終わってしまいます。
(重要な場面で)「いやぁ意外と緊張しなかったですね」なんて言う奴は一流じゃない。全然ダメ。自分の仕事に対してやれる自信がある。その訓練もしてきた。だったら緊張するでしょ。上手くできると信じてるし、上手くやりたいと思うから、そのときほど緊張するでしょ。緊張しないということは自分に期待していないということ。
最高の打者と言われても
10回に7回は失敗してるんですよ。
まだまだ成長できます。
その他の名言
メジャーリーガーの凄いところは、一度「あ、すごい選手だ」と認めたら、2,500本もヒットを打っている選手でも聞きに来ます。それが偉大な点ですね。
苦しいけれど、同時にドキドキ、ワクワクしながら挑戦することが、勝負の世界の醍醐味だ。
準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく。
進化するときっていうのは、カタチはあんまり変わらない。
だけど、見えないところが変わっている。
それがほんとの進化じゃないですかね。
自分がわからないことに遭遇するときや、知らないことに出会ったときに、「お、自分はまだまだいける」と思います。
自分の限界を見てから、バットを置きたい。
考える労力を惜しむと、前に進むことを止めてしまうことになります。
誰よりも自分が(自分の活躍に)期待しています。自信がなければこの場にいません。プレッシャーがかかる選手であることが誇りです
パワーは要らないと思います。それより大事なのは 自分の『形』を持っているかどうかです。
練習で100%自分を作らないと打席に立つことは出来ません。自分の形を身に付けておかないと、どん底まで突き落とされます。
『自分だけは違う』という発想は危険なんです。
ぼくのプレイヤーとしての評価はディフェンスや走塁をぬきにしては測れない。
どの部分も人より秀でているわけではないしすべてはバランスと考えています。
イチロー(小学6年生当時)の作文
僕の夢
ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学、高校でも全国大会へ出て、活躍しなければなりません。
活躍できるようになるには、練習が必要です。
ぼくは、その練習にはじしんがあります。ぼくは3才の時から練習を始めています。
3才~7才までは、半年位やっていましたが、
3年生の時から今までは、365日中、360日は、はげしい練習をやっています。
だから一週間中、友達と遊べる時間は、5時間~6時間の間です。
そんなに練習をやっているんだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。
そして、中学、高校で活躍して高校を卒業してからプロに入団するつもりです。
そして、その球団は、中日ドラゴンズか、西武ライオンズが夢です。
ドラフト入団でけいやく金は、1億円以上が目標です。
ぼくがじしんのあるのは、投手と打げきです。
去年の夏ぼくたちは、全国大会へ行きました。
そしてほとんどの投手を見てきましたが、
自分が大会ナンバ-1投手とかくしんできるほどです。
打げきでは県大会、4試合のうちに、ホ-ムランを3本打ちました。
そして、全体を通して打りつは5割8分3厘でした。
このように、自分でもなっとくのいくせいせきでした
そして、ぼくたちは1年間まけ知らずで野球ができました。
だから、このちょうしで、これからもがんばります。
そして、ぼくが一流の選手になって試合にでれるようになったら、
お世話になった人に招待券をくばって、
おうえんしてもらうのも1つです。
とにかく一番大きな夢は、プロ野球選手になることです。
鈴木一朗
イチローの引退
ファンから熱い見送りを受けたイチロー
イチローは2019年3月21日、開幕シリーズとなる東京ドームで行われたアスレチックス戦2試合に出場後、引退を発表しました。
試合終了後には東京ドームを一周したが、その際には試合を最後まで観戦した多くのファンが球場に残りイチローの現役選手としての最後の姿を見届けました。
その時の模様をYAHOOニュースは次のように配信しています。
【偶然がもたらした感動的なカーテンコール】
7年ぶりに開催されたMLB日本開幕戦。最終戦となった第2戦途中で、イチロー選手現役引退をチームに伝え試合後に記者会見を開くという共同通信が配信した第一報が世界中を駆け巡ることになった。もちろんその情報は東京ドームに集結したファンの間にももたらされた。もちろんシリーズ前からある程度の予測をしていたファンは多かったはずだが、改めて彼らはこの試合がイチロー選手の“ファイナルステージ”だと理解した。
試合は延長12回までもつれ、試合終了はNPBの公式戦では考えられない午後11時を過ぎていた。それでも多くのファンは最後まで試合を見続け、終了後も席を離れようとはしなかった。これがイチロー選手の現役最後の試合と分かった以上、誰もが感謝の言葉を伝えたかったのは当然だろう。そうして試合終了後30分以上が経過していたにもかかわらず、ファンの熱意に応えるようにイチロー選手が再びグラウンドに姿を現すと、感動的なカーテンコールが始まったのだ。
その様子を動画付きでツイートしたマリナーズは「言葉では表現できない」とメッセージを付け加え、イチロー選手自身も会見で目頭を熱くしながら「今日のあの球場での出来事…。あんなもの見せられたら(引退を決意したことに)後悔などあろうはずがありません」と口にするほど、あまりに“完璧すぎる”終演だった。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kikuchiyoshitaka/20190322-00119174
イチローの引退会見(全文)
「こんなにいるの? びっくりするわぁ。そうですか。いやぁ、この遅い時間にお集まりいただいて、ありがとうございます。
今日のゲームを最後に日本で9年、米国で19年目に突入したところだったんですけど、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました。最後にこのユニホームを着て、この日を迎えられたことを大変幸せに感じています。この28年を振り返るにはあまりにも長い時間だったので、ここで1つ1つ振り返るのことは難しいということもあって、ここでは、これまで応援していただいた方々への感謝の思い、そして、球団関係者、チームメートに感謝申し上げて、皆様からの質問があればできる限りお答えしたいと思っています」
――現役生活に終止符を打つことを決めたタイミング、その理由は?
「タイミングはですね、キャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかねぇ。何日前とはっきりとお伝えできないんですけど、終盤に入ったときです。もともと日本でプレーする、今回東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定でもあったこということもあったんですけども、キャンプ終盤でも結果が出せずにそれを覆すことができなかった、ということですね」
――決断に後悔や思い残したようなことは?
「今日のあの、球場での出来事、あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません。もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと……人よりも頑張ったということはとても言えないですけど、そんなことは全くないですけど、自分なりに頑張ってきたということは、はっきり言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかなと思います」
――子供たちに是非メッセージを。
「シンプルだなぁ。メッセージかぁ。苦手なのだな、僕が。まぁ、野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので。そういうものを早く見つけてほしいなと思います。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける。向かうことができると思うんですね。それが見つけられないと壁が出てくると諦めてしまうということがあると思うので。色んなことにトライして、自分に向くか向かないかというより自分が好きなものを見つけてほしいなと思います」
――今思い返して最も印象に残っているシーンは?
「今日を除いてですよね? この後、時間が経ったら、今日のことが真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。ただそれを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきた……ですけど、そういうものはたいしたことではないというか、自分にとって、それを目指してやってきたんですけど、いずれそれは僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いていくというのはしなくてはいけないことでもあると思うんですけども、そのことにそれほど大きな意味はないというか。今日の瞬間を体験すると、すごく小さく見えてしまうんですよね。
その点で、例えば分かりやすい、10年200本続けてきたこととか、MVPをオールスターで獲ったとかは本当に小さなことに過ぎないというふうに思います。今日のこの、あの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって、その後もチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰かが抜いていくと思うんですけど、去年5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれないというような、ささやかな誇りを生んだ日々だったんですね。そのことが……去年の話だから近いということもあるんですけど、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います」
――ずっと応援してくれたファンの存在は?
「ゲーム後にあんなことが起こるとはとても想像してなかったですけど、実際にそれが起きて、19年目のシーズンをアメリカで迎えていたんですけども、なかなか日本のファンの方の熱量というのは普段感じることが難しいんですね。でも久しぶりにこうやって東京ドームに来て、ゲームは基本的には静かに進んでいくんですけど、なんとなく印象として日本の方というのは表現することが苦手というか、そんな印象があったんですけど、それが完全に覆りましたね。内側に持っている熱い思いが確実にそこにあるというのと、それを表現したときの迫力というものはとても今まで想像できなかったことです。ですから、これは最も特別な瞬間になりますけど。ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見てくれている人も喜んでくれるかなと思っていたんですけど、ニューヨークに行った後くらいからですかね、人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきたんですね。その点でファンの存在なくしては自分のエネルギーは全く生まれないと言ってもいいと思います」
「え、おかしなこと言ってます、僕。大丈夫です?」(会場笑い)
――イチロー選手が貫いたもの、貫けたものは?
「……。野球のことを愛したことだと思います。これが変わることはなかったですね。おかしなこと言ってます、僕。大丈夫?」
――グリフィーが、肩のものを下ろしたときに違う野球が見えて、また楽しくなってくると話していた。そういう瞬間は?
「プロ野球生活の中ですか? ないですね。これはないです。ただ、子どもの頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶って、最初の2年、18、19の頃は1軍に行ったり来たり……。行ったり来たりっておかしい? 行ったり行かなかったり? え? 行ったり来たりっていつもいるみたいな感じだね。あれ、どうやって言ったらいいんだ? 1軍に行ったり、2軍に行ったり? そうか、それが正しいか。そういう状態でやっている野球は結構楽しかったんですよ。で、94年、3年目ですね。仰木監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたわけですけども、この年まででしたね、楽しかったのは。あとは、その頃から急に番付を上げられちゃって、一気に。それはしんどかったです。
やっぱり力以上の評価をされるのというのは、とても苦しいですよね。だから、そこから純粋に楽しいなんていうのは、もちろんやりがいがあって、達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。ただ、楽しいかっていうと、それはまた違うんですよね。ただ、そういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球をやりたいなと、これは皮肉なもので、プロ野球選手になりたいという夢が叶った後は、そうじゃない野球をまた夢見ている自分がある時から存在したんですね。でも、これは中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には、おそらく待っていないもの。たとえば草野球ですよね。草野球に対して、やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しむことはできないのではないかと思っているので、これからはそんな野球をやってみたいなという思いですね。おかしなことを言っています、僕? 大丈夫?」
――開幕シリーズを「大きなギフト」と言っていたが、私たちが大きなギフトをもらったような気でいる……。
「そんなアナウンサーっぽいことは言わないでくださいよ」
――これからどんなギフトを私たちにくれるのか?
「ないですよ、そんなの、無茶言わないでくださいよ。でもこれ本当に大きなギフトで。去年、3月頭にマリナーズからオファーをいただいてからの、今日までの流れがあるんですけども、あそこで終わってても全然おかしくないですから。去年の春で終わっていても。まったくおかしくない状況でしたから。今この状況は信じられないですよ。あのとき考えていたのは、自分がオフの間、アメリカでプレーするために準備をする場所が、まぁ神戸では球場なんですけども、そこで寒い時期に練習するのでへこむんですよね。心が折れるんですよ。でも、そんなときも仲間に支えられてやってきたんですけど、最後は今まで自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場で、ひっそりと終わるのかなとあの当時は想像していたので。夢みたいですよ、こんなの。これも大きなギフトですよ、僕にとっては。質問に答えていなですけど、僕からのギフトなんかないです」
――涙がなく、むしろ笑顔が多いように見えるのは、この開幕シリーズが楽しかったということか?
「これも純粋に楽しいということではないんですよね。やっぱり、誰かの思いを背負うということはそれなりに重いことなので、そうやって1打席1打席立つことは簡単ではないんですね。だから、すごく疲れました。やはり1本ヒットを打ちたかったし。応えたいって当然ですよね、それは。僕に感情がないって思っている人はいるみたいですけど、あるんですよ。意外とあるんですよ。だから、結果残して最後を迎えたら一番いいなと思っていたんですけど、それは叶わずで。それでもあんな風に(ファンが)球場に残ってくれて。まぁ、そうしないですけど、死んでもいいという気持ちはこういうことなんだろうなと。死なないですけど。そういう表現をするときってこういうときだろうなって思います」
――常々、最低50歳まで現役ということをいってきたが、日本に戻ってもう1度プロ野球でプレーするという選択肢はなかったのか?
「なかったですね」
――どうしてか?
「それはここで言えないなぁ。ただねぇ50まで、いや最低50までって本当に思ってたし。でもそれは叶わずで。有言不実行の男になってしまったわけですけど、でも、その表現をしてこなかったら、ここまでできなかったかなという思いもあります。だから、言葉にすること。難しいかもしれないけど、言葉にして表現することというのは、目標に近づく一つの方法ではないかなと思っています」
――これまで膨大な時間を野球に費やしてきたが、これからその時間とどう付き合っていくか?
「ちょっと今はわからないですねぇ。でも多分、明日もトレーニングはしてますよ。それは変わらないですよ、僕じっとしていられないから。それは動き回ってるでしょうね。だから、ゆっくりしたいとか全然ないんですよ。全然ないです。だから動き回ってます」
――イチロー選手の生きざまで、ファンの方に伝えられたことや、伝わっていたらうれしいなと思うことはあるか?
「生きざまというのは僕にはよくわからないですけど、生き方というふうに考えるならば……先ほどもお話しましたけども、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を越えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない。進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど、でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。自分なりに重ねてきたことを、今日のゲーム後のファンの方の気持ちですよね、それを見たときに、ひょっとしたらそんなところを見ていただいていたのかなと。それは嬉しかったです。そうだとしたらすごく嬉しいし、そうじゃなくても嬉しいです、あれは」
――シンプルな質問ですけど。現役選手を終えたら、監督になったり指導者になったり、あるいは全く違うタレントになったりすることはあるけど……、
「あまりシンプルではないですね」
――イチロー選手は何になるのか?
「何になるんだろうねぇ。そもそも、カタカナのイチローってどうなんですかね? いや、元カタカナの一朗みたいになるんですかね。あれ、どうなんだろう? どうなんだろうね、あれ。元イチローって変だね。イチローだし僕って思うもんねぇ。音はイチローだから。書くときにどうなるんだろうねぇ。どうしよっか。何になるか……。監督は絶対に無理ですよ。これは絶対が付きますよ。人望がない。本当に。人望がないですよ、僕。うん」
――そうでもないと思うが。
「いやぁ、無理ですね。それくらいの判断能力は備えているので。ただ、どうでしょうねぇ。プロの選手とかプロの世界というよりも、アマチュアとプロの壁がどうしても日本の場合は特殊な形で存在しているので、今日をもって、どうなんですかね、そういうルールって。どうなんだろうか。今まではややこしいじゃないですか。例えば、極端に言えば、自分に子どもがいたとして、高校生であるとすると、教えられなかったりというルールですよね。確か。違います? そうだよね。だから、そういうのって変な感じじゃないですか。だから、今日をもって元イチローになるので、それが小さな子どもなのか、中学生なのか、高校生なのか、大学生なのか分からないですけど、そこには興味がありますね」